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村上水軍99の謎

尾道市因島の郷土史研究家で歯科医の今井豊さんが、やさしく村上水軍をQ&Aでお答えします。

謎その7「瀬戸内の風土と村上水軍の起こりには関係があるの?」

 前回では、村上水軍の発生が、芸予諸島の地理的条件、自然条件とどのように関係していたかをみてきました。
 今回は、その芸予諸島を含む「瀬戸内海全体の風土」が、どのように村上水軍の起源に関係があったのかを中心にみてみましょう。

要因1 瀬戸内海は古くから交通と「文化の伝達」の大動脈

  邪馬台国がどこにあったかが論争されていますが、もっとも有力な説とされているのが大和(近畿)説であるとするならば、それは、朝鮮半島から対馬・壱岐・北九州を経由し、瀬戸内海を航行して「難波の津」に着いて大和に向かうコースが、その頃から重要な交通路であったということを示しています。
 また、神武天皇の東征でも、宮崎から瀬戸内海を経由して大和の地に赴いています。
 その後、北前船、朝鮮通信使、機帆船《きはんせん》、一杯船主《いっぱいふなぬし。1船しか所有しない船主のことで、かつて内海の海運を支えた。》の時代に至るまで、永年に渡って瀬戸内海は、交通と文化の伝播の大動脈でした。
 村上水軍もここで、内海の海運、外国との貿易により莫大な富を蓄積したのです。能島城址《のしまじょうし。今治市宮窪町の沖に浮かぶ能島にある村上水軍の本拠地跡。》から、ギヤマン・中国陶磁などが発掘されていることが、外国との盛んな交易が行われていたことを物語っています。
 
要因2 晴天日数が多く、小雨である

 瀬戸内海地方は雨が少なく、本土から水道が敷設されるまで、長い間、特に夏期に、渇水・干ばつに悩まされてきました。
 その気象条件を利用して、藻塩《もしお。海藻に海水をそそぎかけて塩分を多く含ませ、それを焼いて水にとかし、そのうわずみを煮詰めてつくる塩。》を焼いて精製する時代から、瀬戸内海は良質の塩の生産地でした。この地方の縄文・弥生時代の遺跡からも、製塩土器が多数出土されています。
 村上水軍も、この地方の特産物である塩の生産、流通を大きな収入源にしていました。

要因3 水深の深い湾がある

 水深の深い湾は、水軍の「船隠し」《ふなかくし。入り江に築かれた敵から発見されにくいみなとで、そこには柱穴の跡が今も残っている。》や、造船所となりました。
 その伝統を受け継ぎ、一時ほどではありませんが、現代も瀬戸内海地方は造船業が盛んです。現在、因島にある旧日立造船の造船所も、水深の深かった場所に造られています。

要因4 耕地が少なく人口が多い水深の深い湾がある 

 島は、山と海に挟まれた僅かな土地しかありません。そのため農地の生産性が低く、島民はいつも極貧の生活を強いられていました。
そのことが、海賊の自然発生した要因となりました。
 また製塩や造船といった人口集約型の産業の発展も、瀬戸内の島々に人口を集め、海賊の時代から現在に至るまで、比較的人口密度の高い地域となっているのです。

記事作成 2006年07月08日

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