北面の武士でした。寛治年間(1089年)には右大臣源顕房の妹を妻に迎え、白河院の蔵人の地位にあり、昇殿まで許されていたが、白河上皇呪咀事件で配流され、武威が衰えてしまいました。
記事作成 2006年09月29日
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