謎その37 村上義弘の墓はどこにある?
講演会で「因島に義弘公の墓はあるのか?」「金蓮寺の裏の水軍墓は義弘公の墓か?」という質問を受けて、「因島には義弘公の墓はない」と答えると以外な感じに受け取られたようであった。
義弘公の遺骸は本拠であった伊予大島の高龍寺亀老山山上に海の鎮守として丁重に葬られたという。それを裏付けるかのように現在も山上に義弘の墓と伝えられる宝篋印塔がある。
この宝篋印塔を義弘の墓とすることに関して、鵜久森経峯氏はそれを疑問視する説を述べている。
一、塔身の寸法は台座及び天蓋の寸法と符合せず、別の宝篋印塔の塔身を持ってきて、これに充当したものである。
二、天蓋の四隅に突起せる隅飾突起の手法は直角をなさずして外方にそれているが、その形式は村上義弘が亡くなったとされる南朝時代から室町時代初期のものではない。
三、台座の左側に「逆修集證結衆敬白」という七字の刻銘「逆修」とは、その人の生存中にこの宝篋印塔を建立供養したことを表示し、「結衆」とは結縁のためにこの石塔の建立に浄財を喜捨した人々のことである。右側の刻銘は、わざわざ打ち欠いてわからなくしてある。
記事作成 2009年10月12日
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